理事長通信令和2年8月

理事長通信

気付けば8月♪夏真っ盛りです。今年の夏は、祭りや有名どころの海水浴場も自粛するみたいで、あまり夏の雰囲気を感じません。この夏をどう過ごすか考えた時、大阪の事をもっと知ってみようと思いました。よくよく考えると、大阪人でありながら大阪の事をいまいちわかっていない自分に気付いてしまいました。身近なところで言えば、地元の堺東の銀座商店街がほんまもんの「銀座」と言うこともほんの数年前まで知らなかったわけで。「銀座」と言えば「東京」だと間違った認識を持っていました。あのさびれた商店街が、関東は「金座」、関西は「銀座」の「銀座」だと教えられて驚きとともに物悲しい気持ちになったことを覚えています。従って大阪を知らないで大阪の歴史や文化、風土に興味を持つはずがありません。生まれ育った地元を知ることで誇りを持ち、他府県にも大阪の良さをアピールできるようになります。大阪を今よりもっと盛り上げる手段として「もっと知ること」が重要であると考えました。

 そこで食いじの張った私は手始めに、大阪の食の歴史をちょこっと調べてみることにしました。すると意外な発見がいくつも出てきました。皆さんの御家庭でも出される定番のカレーですが、明治38年にカレー粉の国産化に成功したのがハチ食品と言う会社で当時はプロ用として販売を始めました。その後、ハウス食品が大正15年にホームカレーを食品化させます。江崎グリコが戦後カレールーを発売、大塚食品が昭和44年にレトルトのボンカレーを発売します。これ全部大阪の会社です。大阪とカレーの進化は切っても切り離せません。これらの会社がなければ今現在のカレーのスタイルが違っていたかもしれないぐらいの影響力だと思います。まだまだあります。客が焼いてタレを付けて食べる焼き肉のスタイルは戦後、食堂園が取り入れました。そのスタイルが今となっては韓国に逆輸入されています。もはや和食と言っても過言ではないかもしれません。それと肉つながりで、日本全国でメジャーなシャブシャブも昭和27年に北新地のビフテキ屋のスエヒロが考案しました。これ全部大阪発祥です。ほとんどの大阪人は知らないと思います。もっと大々的に「大阪発祥」を謳い浪速の商売根性で全国展開出来れば大阪の復興につながるのではないかと思います。

 この度の新型コロナウィルス問題ですが、特に東京の感染がおさまらなく、感染者数は緊急事態宣言の時より増えています。大阪も決して油断できませんが。(PCR検査数がその時と違うので一概にそうとも言えないが)アフターコロナの日本は東京一極化の経済体制ではなく、大阪も日本の経済を担える都市になるチャンスだと思いますし、そう期待されるようになるでしょう。大阪の過去を伺えば、日本の中心地であったので復権ともいえましょう。新型コロナをチャンスと言うのは不謹慎かもしれませんが、人はこれまでもピンチをチャンスに変えて技術や文化を進化させてきた経緯があります。新型コロナの影響これまで予測していた未来の形が早まりました。特にAIの導入は猛烈に加速します。新型コロナと経済の動向にしばらくは注視です。