理事長通信令和2年9月

理事長通信

今年の夏は梅雨が長くて、夏の期間が短かったように感じます。去年は空梅雨だったので今年はその分の雨もまとまって降ったのではないかと勝手に結論付けています。世の中は引き続き新型コロナにあたふたしているわけですが、少し他所気を配ると、コロナの陰に隠れて大きな出来事がひかえております。都構想を再度問う住民投票です。大阪の将来に関わる大きなことです。もちろん福祉サービスにも大きくかかわって来るでしょう。コロナ問題がなければもっと議論されるべき案件です。そこで私なりに大阪都構想を少し考察してみました。

平成27年5月17日に行われた大阪都構想の是非を問う住民投票では、わずか0.8ポイントだけ反対が上回り、大阪府と大阪市の行政体制は現状維持となりましたが、再度令和2年11月1日に是非を問う住民投票が行われます。維新は公明党を取り込んで意地でもリベンジを果たしにかかるでしょう。前回の選挙を思い返すと、「なぜ大阪都になれば大阪が活性化するのか?」という明確な根拠が示されないまま単なる財政の議論へと移って行ったように思います。都構想はが「二重行政が解消すると経費がこれだけ節約できる。」と言えば反対派は「計算してもそんな数字にはならない。」などの金額的な論争や、もっと単純に「イエスかノーか」で問うような議論にまみれ、どっちがどう正しいのか具体的なデータはなく感情論だけの勝負に陥っていたように感じました。本来都構想は、大阪が今抱えている諸問題を解決するための制度上の1つの選択肢であり、都構想自体の是非という、白黒をつけるだけの単純な対立になってしまったように思います。また、維新の政策は、「無駄をなくします。」や「公務員を減らし議員の給与をカットします。」など効率重視のものが多く、それが若者にとって、わかりやすいので一定の支持を得られていたように思いますが、やはり選挙に行くのは50歳以上の方が多く、この年代には思いが伝わらなかったのでしょう。  

1869年に大阪の市街地を東西南北の4組(10年後4区を設置)に分割し、それぞれで大きな権限を持ったことから始まっており、1956年に政令指定都市に移行し、府とほとんど同じ権限を持った大阪市が生まれ、現在の「ふし合わせ」な状態に結びついていくと言うこと理解しました。根の深いこれらの歴史感を理解したうえで払拭しなくては先に進むことのできないのが大阪です。大阪市の人々が持っている大阪市としてのプライドや意地というものは周りが思っているほど単純なものではなく、維新の効率的な政策だけでは押しが足りなかったわけです。

 歴史をさかのぼれば大阪は何度か東京に代わる首都に成れる機会がありました。これは首都を担ってもそれに耐えられるだけのポテンシャルがあると言うことの証明でもあります。

 東京一極集中が進み、大阪も企業の本社がどんどん減り、経済的機能が弱くなる現状を踏まえて、地域経済をどうやって活性化していくかに一石を投じる事も大阪都構想の狙いであるのではないかと思います。